夜の独り言

なんだかんだ他人の人生気になる

初夏さんへ

まず、勝手に初夏さんの名前を出してしまったことを先に謝らせていただきます。

もし初夏さんがこれを見つけ、嫌な気持ちにさせてしまったらすみません。早急に消しますので、その時はコメントください。お願いします。

(また、敬語が合っていなかったり、失礼があったりしたら本当にすみません。指摘して頂ければ編集ですぐに直します。)

 

 

昨日初めてコメントを貰った。

こんな拙い文章に、まさか反応をもらえると思ってなかったから驚いたと同時にとても嬉しかった。

コメントにお返事したいと思ったけどやり方が分からず(笑)

そもそもお返事自体できるのかよく分からない…。

だからここに書いてみることにした。

 

コメントには、初夏さんが私と同じ気持ちでいるということが書かれていた。今の状況がとても苦しいということも。そして、どうもありがとうと締めくくられていた。

お礼を言うのは私の方だ。

初夏さんがコメントを送ってくださったおかげで、私も「同じ気持ちの方がいるんだ!」と、気持ちがとても楽になった。

私は今まで長い間、誰にもこんな感情を話したことはなく、ずっと溜め込んできた。もちろん理解してもらいたいとも思ってなかった。

しかし、この感情を誰かと共有し共感してもらえることでこんなにきもちが軽くなるだなんて知らなかった。

 

なんとなくこのブログを始めてみたけど、こんなに素敵な出会いがあるだなんて思いもしなかった。

とても幸せな気持ちになれた。

 

もっと感じたことがたくさんあるのに語彙力がないのとなんて言ったら良いかわからない感情すぎて、こんなに薄っぺらくなってしまった…。くそう。

 

お互いにいつかこの状況を乗り越えられる時がくることを願っています。

 

そして改めて、私の方こそありがとうございました。

 

 

夜の独り言より

誰か誕生日お祝いストーリー禁止法作って

今日は友達の誕生日。

今年は直接お祝いできないのが悔しい。くそう。

 

とりあえずお祝いのLINEを0時ぴったりに送った。

毎回思うが友達の誕生日にはおめでとう以外かける言葉がなかなか見つからない。

しかしおめでとうだけでは味気ないよなというよく分からない心理が働きメッセージを書き足す。

所詮まだ20年しか生きていない私が、その中のたった数年一緒にいた友達にそんな大層な言葉をかけられるはずがなかった。

メッセージが長くなればなっていくほど言葉たちはとても薄っぺらく、何もない心が透けて見えるようだった。

 

あと女の子はあるあるだと思うんだけどインスタでお祝いするあの風潮。

いや別に強制でもないし頼まれてるわけでもないんだからしなくてもいいんだけども。

それでもストーリーか投稿かどちらかかあるいはどちらも更新をする。

誰がやり始めたんだか。

高校生の頃は1週間に1度はお祝いストーリーを絶対に見た。

今はやらなくなった人もいるけどやってる人の方が圧倒的に多い。

人の見えるところでこの人誕生日だよ!おめでとうだよ!ってアピールしても見てる側は「へー。おめでとさん。」くらいにしか思わない。

そんなのLINEで身内同士でやってくれ。って思う人もいると思う。

 

こんなこと言ってるけど私はお祝いストーリーする(笑)

なんでかって、女子はなんだかんだインスタ大事なのよ。

気にしてないって思ってても気にしてると思うの。

やっぱインスタなんてマウントとったもん勝ちだし。

知らんけど。

あげないよりあげてるほうがいいじゃん。

別にタダだし。

誰も損しないし。

私は、今日から誕生日ストーリー禁止ですってなる日まで友達をインスタ上で祝い続けるんだろうな。

「この子はたくさんの友達からお祝いされてるのに私は友達がインスタあげてくれないな」って友達にちょっとでも思わせたくないのよ。

そんなこといちいち考えて生きてねーよ!って思う人もいるかも。

私も考えすぎだと思うけど(笑)

でもそう思っちゃう可能性はなきにしもあらず!

やっとくに限るよねって話。

 

でもやっぱ誕生日は直接お祝いするのが1番だよね。

今はまだあんまり友達集めてパーティーとかはしたくないけど。

来年落ち着いてたら今年のも合わせて2年分盛大にお祝いしよう。

普通に生きるのって難しい

小学生の時、将来の夢をみんなの前で発表する授業があった。小学校時代内気だった私は、普通で、当たり障りのない、派手じゃない、なおかつ自分のイメージにあった職業を小さな脳味噌で必死に考え、出た答えが小説家だった。

 

将来の夢と聞いてみんな必ず“職業”を書いた。別に“お金持ちになる”とか“有名になる”とか“南の島で暮らす”とかでも良いはずなのに。

私も含め誰一人として職業以外は書かなかった。不思議だ。そんなに自分が“何者”かにならなければいけないのか。自分は自分だ。たとえば医者になろうが警察官になろうが、私は“お医者さん”の前に私だし、“おまわりさん”の前に私なのだ。

 

こんな偉そうに書いているが、今の私は社会的に言えばニートだ。短大を卒業し就職もせず、実家で暮らしている。

それは私が“小説家”を目指しているからではない。必死に“何者”かになろうとしてなれなかったからだ。

 

 

中学、高校からはなんとか自分のキャラを確立し、馬鹿なふりをして、明るく振る舞い、友達がたくさん増えた。(実際ふりではなく本当に馬鹿だった)

そこでできた私の大好きな友達は立派な“将来の夢”がある子たちばかりだった。彼女たちの夢は建築士、看護師、薬剤師、保育士、教師、など。

彼女達は中学、あるいは高校生のうちには普通に夢が定まっていて受験期になると“将来の夢”を持っていない自分が浮き彫りになった。

 

私は、母子家庭で貧乏だから女でもお給料が良い仕事をして一人でも生きていけるようになりたいと考えていた。女でそれなりに稼ぐとなると資格を取り士業を目指すのが1番いいと思った。そこで、仲のいい友達が看護系に行く子が多かったためなんとなく看護系に進もうと決意した。そして高校三年生の夏の面談で看護系に進みたいと親に言った。しかし、母は良い顔をしなかった。人の死際に何度も立ち会うし体力的にも精神的にもきつい仕事で私にそんな思いをさせたくない、と説得された。もしかしたら母は私がこんな中途半端な気持ちで進路を決めたことを見透かしていたのかもしれない。

 

それから私は考えた。自分は何がやりたいのか。考えても考えても出てこない。当たり前だ。私は自分で考える脳がないのだ。

小学生の頃から他人の目ばかり気にしてきた私は、人から言われたことだけをしてきたし進路も友達に合わせたりしてきて自分で決めたことはない。

涙が出る。自分には何も意思が無いことを知った。無気力だ。こんなの生きている意味がない。私は今まで誰かの操り人形を自ら志願して操られている間は生きている気になっていただけだった。

 

しかし、じっくりと考えている暇はない。受験は待ってはくれない。私は頭が良いわけではない。余計に選択肢は狭まっていくばかりだ。

そして母と担任が話し合い、隣の市の短大を勧めてきた。その時の私は周りが進路が決まっていく中焦っていた。もうどこでもいいから早く進路を決めたかった。

そこしか受けなかったが結果合格した。

進路が決まっても“夢”がある友達といると劣等感に駆られ苦しくなる。

 

「短大に進んで何になるの?」

友達から不意に聞かれた時、どうしようもなく胸がざわざわした。何かが胃の奥の方から競り上がってくるのを感じた。

私は気持ち悪さを隠しながら

「分かんない。まあ普通になんかになるんじゃない?(笑)」

おちゃらけて見せた。

劣等感、嫉妬、敗北感、負の感情しかなかった。大好きな友達なのに。こんな風に思ってしまう自分が大嫌いだった。

 

短大で出会った子はみんな“将来の夢”がなかった。そのぶんとても居心地が良かった。

そして2年生になるとみんな就活を始めた。

私だけが就活をしなかった。まだ自分は“何か”になれると思っていた。しかし、時間は瞬く間に過ぎていった。短大の友達が内定をもらう中私だけが何もしないまま過ぎていった。卒業前のお泊まりや旅行やゼミでのご飯会とかで必ず内定先の会社がどうだとか内定式の話だとか就活で辛かった話などが話題に上がらない日はなかった。その度に気配を消し、質問されても曖昧に答えていた。卒業式の袴を決めにいった時も着物屋で内定先の話をされ就活はしてないというと微妙な雰囲気になったりと、居心地の悪い思いを何度もしてきた。そしてやっと卒業を迎えた。コロナのせいで卒業式はなくなったけど。

 

卒業してからはコロナもあって外に出ていなくてもインスタのストーリーを全く更新していなくても友達に会っていなくてもなんら困ることはなかったし不思議がられることもなかった。

 

そして自粛も明け、気づけばもう夏目前だ。

私はやっぱりまだ“何者”かになれると思い込んでいるのかもしれない。

 

 

 

 

恋愛してきてない人生は恋愛を中心にまわってた

 

私は昔から物語が好き。私が通う小学校には綺麗で広々とした図書館があったんだけど、そこに毎日通い詰めてた。借りてきた本はいつもその日のうちに読んじゃってた。そのせいで小学校時代は友達がいなかったな〜。(本にも図書館にも罪はないし、本当は自分の内気な性格のせい)

 

漫画、小説、映画、媒体は違えど、どの物語も私の想像をはるかに超え私の心を躍らせた。

恋愛小説、恋愛漫画携帯小説なんかに憧れて、自分にもいつかこんな素敵な恋ができると思ってた。(小学生の時はノートにこそこそと誰にも見せる予定のない漫画連載してた。誰の目も気にしないあの頃が1番楽しかった。)

 

しかし中学生になっても高校生になっても大学生になってもなかなか彼氏ができない。好きな人ができても恋に恋してる感じ。

その人自身のことは見てない。その人の周りからの評価だったり見た目とかそういうのばっか気にして好きとか思ってた。最低すぎるね。

でもしょうがない。男の子とはほとんど話さないか、本当に一緒に馬鹿できる仲良い男友達の両極端しかいなかった。もちろん男友達はお互い恋愛対象に入るわけもなく。

小学校から同じだけどあまり接点のない同じクラスの運動できる系イケメンを好きとか思ってた時期もあった(笑)(もちろん彼はとっても魅力的な人で小学校から高校まで私が知る限りずっとモテてた。でも今はパチンカスらしい。)

 

あーでも1人だけいた。あれは本当に本気だった。ちゃんと中身を見て好きだなって思った人が1人だけいた。

たぶんこの話を聞いた人は、「馬鹿じゃないの」とか、「それは本気とは言わないでしょ(笑)」とか、「小説とか漫画に影響されすぎる」とか思うんだろうな〜。(自分でも思う(笑))

 

このお話、いつか小説として書いてみたいな。もちろんそのまま事実だけを書くんじゃなくてもっとこうなるはずだった!こうなりたかった!って私の願望をたっぷり入れてね。

そんでいつか色んな人に読んでもらえる日が来ればいいなあ。

 

その時がきたら、これはあなたがモデルなんだよってカミングアウトしよーっと。

ちょっと怖いかな?(笑)でも笑って凄いなって昔みたいに褒めてくれそうだな。